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飯川雄大の「デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」(千葉市美術館)を訪ねて

「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館、2021年
写真提供:飯川雄大(以降すべて)


デコレータークラブという生き物がいる。Decorator Crab、つまり装飾する蟹(カニ)。日本での呼び名=モクズショイが想像させる通り、周囲の海藻などを自身のからだにまとう習性をもつ。場合によっては珊瑚や生きたイソギンチャク、人工物なども身につけてしまうらしい。着飾る装飾(デコレート)なのか身を守る擬態なのか、ややこしい気もするが、アーティストの飯川雄大はこの蟹の名を冠した一連のプロジェクトを2007年から継続している。


昔、この蟹を紹介するドキュメンタリー番組を見たのですが、ダイバーが海の中で何だかわからないモノ(実は蟹)を見つけたときの驚きが全く伝わってこなくて。たくさんの言葉や映像を使っても、どうしても伝えることができない部分があるということが面白かったんです。(*1)


「驚きが全く伝わってこない」ことから面白さを見出したという彼の視点は、写真や映像や言葉では伝わりずらい領域への関心をうかがわせる。加えて、行為者の意図と周囲の受け取りかたをめぐる、知覚やコミュニケーションのズレへの関心もあるのだろう(誰かダイバーの、またカニの気持ちを知らんや)。

その飯川が「デコレータークラブ」の名を冠して続ける表現活動もまた、ややこしいと言えばややこしい。ただそれは、難解という言葉とも違う。むしろ見た目はシンプルかつカラフルで、体験する側の世代や知識を問わないつくりになっている。もっともよく知られているもののひとつは、「六本木クロッシング2019」(森美術館)などで登場した巨大なネコの造形物だろう。このネコには「猫の小林さん」という名前もある(ちなみに、筆者が編集に関わるフリーペーパー『震災リゲインプレス』にも毎号イラストで登場してくれている)。

大きく、鮮やかで、かわいい小林さんは、こちらを理屈抜きで楽しい気持ちにさせてくれる。しかしその全身をいちどに把握しようとすると、大きすぎるがゆえにどこかしら壁や他の存在に遮られて、目的はかなわない。これはとくに、この作品を前にした多くのひとが誘発される行為=スマホをとりだして写真をとろうとしたさいにはっきりとわかる。ついでに言えば、写真ではその場で得た感覚を伝えるのがむずかしいとも言える。たとえば(位置関係は真逆の例になるが)見上げた月の美しさに思わず写真をとってはみたけれど、写っているのは米粒大の月だったときのような。そして飯川はおそらく意図的にそうした要素を取り入れている。


「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館、2021年


やはり彼のプロジェクトにしばしば登場する、誰かの忘れ物のような大きなバッグも同様だろう。それらは展覧施設などの現場内に無造作に置かれており、ためらいながらそれを持ち上げようとする人は、ちょっと意外な体験をすることになる。仕掛け→誘発される行為→意外な結果。ひらたく言うとそれらを「いたずら心」とも呼べるけれど、飯川は誰かが自分の思惑通りに驚いたり戸惑ったりするさまを見たいのではないと思う。冒頭のカニの行為とそのくだりで述べたようなズレや予想外の解釈、常識や理由付けからの一時的な開放、などなどを含めたより広い状況をつくり出したいのではないだろうか。

言い換えれば飯川は、ある意味ぶっきらぼうとも言えるプレゼンテーションの仕方とは裏腹に、体験者の想像性(腕に覚えがなくても味のある絵を描けるとか、美術の門外漢でも作者の意図を感じ取ってくれるとかいうことよりもっと根源的なもの)を信じているように思う。彼の作品の多くが体験者の行為を誘発するかたちをとっていることも、それと関わりのあることだと思う。素通りする人もいるだろうが、そうでない人もいることに彼は賭けている(「0人もしくは1人以上の観客に向けて」?)。


「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館、2021年

『倉庫番』という古典的なコンピュータ・パズルゲームがある。プレイヤーはキャラクターを操り、倉庫に散在する箱形の荷物をひとつずつ押して移動することで、すべての荷物を格納場所に運ぶことを目指す。飯川がこのゲームを知っているかどうかも不明だし、まったくの余談ではあるけれど、このゲームは彼が生まれた1981年に着想された(*2)。『倉庫番』の面白さは、動かした荷物がその後の状況をも左右していくことにある。荷物を押すことでこちら側に新たなスペースが開けるのと同時に、向こう側では荷物が押し出されていく。風景は随時かわっていく。

飯川の「デコレータークラブ」関連作品のうち、近年とくに大きな存在(物理的にも意義的にも)として、体験空間を埋め尽くすほど巨大な木製の構造物群を用いたものがある。詳しい説明は、いわばこれを読む人と装飾ガニの偶然の出会いに水を差す気もするので避けるけれど、この作品では体験者の行動が状況を動かしていくという性質がより鮮明化している。さらに、それが多方向性や連鎖性をもつことも特徴だろう。ところで『倉庫番』のプレイヤーは常に状況を俯瞰的に眺めながら思考するのに対し、飯川のこの作品では、体験者にとって自らの行為が何を引き起こしているかが一見明確なようで、じつは全体像は見えていないことが多い。しかしそれは別のどこかに通じていて、その結果に偶然出会う人々もいるかもしれない。

このシリーズの作品は、2018年、尼崎A-Lab(兵庫)での個展「デコレータークラブ 配置・調整・周遊」や「ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」(神奈川)など各所で展開されている。筆者が上述のような特質をつよく意識したのは、Art Center Ongoing(東京)における個展だった。インディペンデントな同アートスペースのけして広いとは言えない2階のスペースを最大限使ったこの展示は、来場者の行為が最終的には(かれらがそうとは意識しないかたちで)、街の側に文字通りせり出していく仕組みをもっていた。道端でそれを目撃した人々と、会場内でそれを引き起こした人との間に意思の疎通はない。会場内の人は、それが起きていることにもおそらくその時点では気付かない。

意地悪な見方をすれば、居合わせた誰もが飯川の思惑に乗せられていると言うこともできるかもしれない。ただそれを言うなら「こうすると何とこんなことが起きるんです」と種明かししたり、あるいは体験者に行為を委ねず自分で制御したほう方が、物事はすんなり(かつ派手に)進むだろう。前述のような素通り的反応に終わる可能性も避けられる。ただ、繰り返しになるけれど、冒頭でのべたような飯川の関心からすればそれは本末転倒であり、だからこそ飯川は、ときにもどかしくも繊細なオペレーションに挑戦し続けているのだと思う。


「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館、2021年

「風が吹けば桶屋が儲かる」というお馴染みの言葉がある。説明としては「意外なところに影響が出ることや、あてにならない期待をすることのたとえ」という感じだろう。現代美術に関心のある人たちにとっては、飯川の活動とは別に、東京都現代美術館における若手アーティスト中心のグループ展「MOTアニュアル2012」でサブタイトルに用いられたことも思い出されるだろう。

同展は「物事の通常の状態に手を加え、異なる状況を設定することで、日常の風景に別の見え方をもたらす 7 組のアーティスト」を招き、「他者を介在させ、人々の想像力に委ねる。展示のみならず、パフォーマンスやワークショップ、テキストの要素を含み、一言でその作品の形態を表すことは難しい」表現に焦点を当てた(*3)。またそこでは「個別のできごとが矛盾を抱えながらも緩やかに連関しながら併存していることに気づかせてくれる。遠く離れているはずの時間や場所が隣接するような可能性が示される」とされた(*4)。このテーマは、連関や併存が衝突や分断にもなり得るなど、社会的な側面も視野にいれたものだったと思う。

飯川の表現はここに参加したアーティストたちのものとはまた異なるが、同時に、彼の実践をとらえるうえでこうした視点をもつことも可能ではないだろうか。なお、この展覧会は美術館主催のものだったが、そうしたテーマに反応するかたちで、展覧会の外(制度の外)での表現をあえて探った動きもあった。他方、飯川は自身の試みを美術館という場でも試行していくなかで、それを館の外(側)ともつなぐ展開をみせている。2020年、高松市美術館(香川)での「デコレータークラブ ー知覚を拒む」、そして2021年、千葉市美術館での「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて 」がそれにあたる。


「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館、2021年

ここでも、仕掛けを用意するのはアーティストだが、それを稼働させるのは館内にいる体験者であり、(しばしば偶然に)外でそれを目撃する人々がいる。デコレータークラブがその目撃者を驚かそうとはしておらず、目撃者がその意図を知る由もないように。前後に詳細を知る者も、知らないままの者もいるだろう。あるいはこうした表現に遭遇したことで、あれもこれも何か別の意味があるのではと思いを巡らせることもあるかもしれない。それは現代美術の鑑賞でよくあることだが、飯川の場合はそこでアーティストの作為を一定の領域に留めることで、あり得る体験や解釈を拡げようとしているとも感じる。

先に飯川の表現について、そのシンプルな様相の一方で「ややこしいと言えばややこしい」と書いたが、そこで探られているのは言ってみれば「ややこしさの豊かさ」のようなものなのではと思う。今回、千葉市美術館でのプロジェクトにおいて、飯川からは「たのむ!」という切実そうな猫の小林さんの絵が、SNSや郵送案内に添えられていた。最初は単に「多くの人に来てほしい」ということかと思った(事実そうも書いてあった)。実際に訪ねていき、その後に上記のようなことを考えた今、それは飯川がわたしたちの感性や想像力に託した「たのむ!」でもあるのかなと考えている。



「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて」は千葉市美術館で、2021年7月14日(水)から10月3日(日)まで開催。


1. 「アーティストからのメッセージ」、千葉市美術館ウェブサイト「つくりかけラボ04 飯川雄大|デコレータークラブ —0人もしくは1人以上の観客に向けて 」紹介ページより、2021年

2. リリースは翌1982年。参考:今林宏行「ご挨拶」、「倉庫番オフィシャルサイト」

3. 東京都現代美術館ウェブサイト「MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる」紹介ページより、2012年

4. 同上

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