Top Menu

魚喃キリコ 日常を売る女|Dazed & Confused Japan 📄


The Front: 「魚喃キリコ 日常を売る女」
『Dazed & Confused Japan』 (11) 掲載(2003/02)


彼女は最近、作業机を玄関とベッドの中間地点に移動した。集中するとそこを10時間くらい離れられず、沸かし放しのヤカンは真っ黒に。でも、ふだんは机に座ることも、その存在すらも忘れてしまう(模様替えも効果はなかった)。話を作る時は、架空の人物たちをひとり大声で演じたりもするけど、隣の住人に聞こえていないか少し気にしている。以上は魚喃キリコについて、本人から教えてもらったこと。

同性愛とか過食症とかホテトル嬢とか、彼女のコミックを紹介する“見栄えのいい”キーワードについてはほとんど話さなかった。でも、この日に話したような他愛ない出来事が、ずっと忘れられないこともある。誰かと一緒に食べたキャンディの匂いとか、ケンカの翌日ピカピカになってたバスルームとか。そして、そのとき人を優しい気分にさせた記憶ほど、思い出すとひどく悲しくなったりする。生き方とか感情といった形のない現実と、その毎日をつなぐ小さな事実の断片。それが表裏一体になって、世界は回っている。

 「派手なストーリーより、“リアル”を出したい」と言って、彼女は指で宙に陰陽マークを描いた。ひとりよがりの体験談でも、デフォルメだけのおとぎ話でもない物語。そのために「自分の人生を切り売りして」描く一方、他人事として読まれないように“隙”も残したい。 そういうわけで、机に向かうよりずっと多くの時間を考えるために割いている。「働き者なのか怠け者なのか、自分でもわからないけど……」。
 

※2025年12月、魚喃キリコさんが前年の12月にお亡くなりになっていたことが公表されました。故人の心安らかな旅立ちを心からお祈りします。上の記事は『Blue』映画版が公開を控えた2003年初頭にお話を伺ったものです。ごく短い記事ゆえ、作品紹介より作家さんとお話しした時間について書こうと思った記憶があります。いま読み直すとタイトル含め自分の書き方にはいろいろ思うところもありますが、このとき一度だけお会いしたご本人について思い出されるのは、真っ直ぐな、しかし優しそうな目をしていらしたという印象です。

Copyright © Shinichi Uchida. Designed by OddThemes